孫にええものを食べさせてやろうと
思ったのがきっかけ。
メダカが棲める農業というか、環境を整えていれば農薬を使わないで、いいお米ができるのではないかと思いついたんです。なるべく農薬を使わないで、メダカが生きていける環境を整えた田んぼですね。春になって池に入れた水を田んぼに入れてやると、産卵のために田んぼに入っていくんです。六月から八月ごろまで産卵しますわ。秋になると育ったメダカがこの池に自然に帰ってくるんです。なんで帰ってくるんかわかりませんけど、偶然に見つけたんです。
米はメダカには配慮しないと、育ちませんね。あまり除草剤は使わないこと。使う時期はあって、メダカがいないときにちょっと使って、あとは全然使わない。手間がいりますね。雑草抜きを大分しなくてはだめですね。
安全なものを食べようと思ったのと、孫にええものを食べさせてやろうと思ったのがきっかけですわ。メダカが生息できる田んぼというたらね、ドジョウ、エビ、それからオタマジャクシがいっぱい泳いでますわ。僕らが子どもの頃はいっぱいいましたよ。今はそれが戻ってきてるということですね。農薬を使わないと、自然に戻ってきますわ。どっから入ってくるのか、増えてきました。自然と、子どもがよう遊びに来ますよ。メダカをすくいにきたりとか。
定年後は、失われたものを取り返す時間になってきた。
働くのが趣味です。定年までは働くだけが人生でした。当時の日本人はみんなそうでした。働いて働いて、今の日本を築いてきたわけでしょ。40年、本当に働きましたね。それで、気がついたら定年ですわ。で、そんな人生つまらないと思ってこれからは遊んだろうと、好きな事してやろうと思いました。
僕は姫路の新日鉄まで、毎日70キロを通っていました。うちの会社は運輸関係の仕事で、船から鉱石を上げたりとか、工場の中で、鉄板を作るようなところで資材を運んだりということも多かったですね。二交代でしたから、一日12時間働くわけですね。二交代で10日ごとに代わっていくわけですが、代わる日は24時間働くんです。みんなそれだけ働いてきました。
田んぼなんかは特に昔とはころっと変わったからね。昔はメダカ、ドジョウ、他の生物もいっぱいおったんですよ。それを、子どもの時はとりに行ったりしてたんですけど、今はそれが全く無くなったので、何とか元に戻ることはねえんかと。農薬を使わない方法といったら、カモを放してみたりとか。やってみたんですけど、あれはダメでしたね。後がかわいそうでしょ。田んぼが終わったら飼うのがね、大変でしたね。
昔の田舎の良さはもう無くなりましたね。
地域の変化はすごいですよ。昔の田舎の良さはもう無くなりましたね。お互い助け合うというのも、無くなったしね。一番は、環境が変わりましたね。僕が四十年行っとる間に、植林、植林、植林で、自然を破壊しましたね。今はもうクマとか獣もでるしね。そんなこと昔は全く無かった。昔は、ほとんどその辺は雑木林でしたね。
メダカは偶然に戻ってきてね、たまたま田んぼの水が池に入ってきたんですね、それで、あっと気がついたらみんな産卵に入ってしまって。池に一匹もいなくなったんです。「えらいことした」と思ってね。一ヶ月もしたら田んぼの中でメダカが泳ぎだすしね。それを見たら、農薬使えませんわ。田んぼに入ったメダカを網ですくいよったんですよ。田んぼを干してしまったら死んでしまいますからね。それもなかなか難しいなと思っていたときにね、池の水を田んぼにまた戻したんですよ。そしたら池の方にどんどん帰ってきだしてね。大発見です。習性ですね、知らなかったんですけど。

写真左上:メダカ米の田んぼに併設されている八郎さんの手作りの別宅。照明はすべてランプ。ジャズが流れるカウンターは憩いの場。写真右上:サワガニ。メダカ米の田んぼには、メダカ以外のいろんな生きものも集まる。写真左下:別宅のロフトには手作りの木製の機関車が並ぶ。写真右下:手作りのピザ窯。
この家自体も、西粟倉の自然のものをなるべく使って作りました。会社の仲間と北海道へ遊びに行って、ランプ館に魅せられてね。それが元でランプに似合う家を建てたんよ。それが始まりですわ。特に僕らの年代の人がようやってきたんですから、楽しんだらええんじゃないですか。
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農家の自家用のお米、おすそわけ。八郎さんのメダカ米 2010
http://www.nishihour.jp/medakamai_2010/
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